西暦 | 年号 | 主な出来事 |
542 | 欽明紀3 | 初めて五穀の種渡る。 |
544 | 同 5 | 大泉荘司殿御入荘。翌年、北目飽海が原まで田開かせ給う。 その由緒をもって総名を大泉荘という。 |
588 | 崇峻 元 | 能除大師(蜂子皇子)羽黒山を開く。 |
658 | 斎明紀4 | 4月、越前守阿部比羅夫船師180艘を率いて蝦夷を討つ(日本書紀)。 7月、都岐沙羅(つきさら)の柵造者に位階を授く。 |
683 | 天武 11 | 越の蝦夷の伊高岐那(いこぎな)らの請いにより俘戸70を以って一群となす。 田川(鷹羽)郡の初めといわれる。 |
708 | 和銅 元 | 越の国の奏請により出羽郡を建置。鷹の羽根献上の故事に因る。 出羽柵を設く。湯田川温泉発見される。 7月、諸国の兵器を出羽柵へ運ばせる。 |
712 | 同 5 | 越後国出羽郡を出羽の国とする。 |
714 | 同 7 | 出羽の国に養蚕させる。 10月、尾張、上野、信濃の民200戸を出羽柵内に移す(続日本紀)。 |
715 | 霊亀 元 | 正月、陸奥出羽の蝦夷来朝し、貢物を献上。 |
716 | 同 2 | 従三位中納言巨勢朝臣萬麻呂が出羽国の開発を奏上し、朝廷これより積極策へ。 9月、まず信濃、上野、越前越後、などの百姓各々100戸を出羽柵へ。 |
719 | 養老 3 | 7月、東海、東山、北陸三道の民200戸を出羽柵へ。 |
725 | 神亀 2 | 出羽の俘囚を筑紫、伊予、和泉へ移す。 |
727 | 同 4 | 渤海国使首領高済徳ら8人が漂着。 |
733 | 天平 5 | 出羽柵を秋田県高清水の岡に遷す。 |
737 | 同 9 | 陸奥按察使の奏請で出羽柵へ直路の山海両道を開通させる。 |
786 | 延暦 5 | 渤海国大使李元泰ら65人が漂着。 |
811 | 弘仁 2 | 出羽国に於ける農民の開田を国司が公収することを禁ず(日本後紀)。 |
830 | 天長 7 | 1月、出羽国大地震、国府倒壊す。 |
839 | 承和 6 | 8月、出羽国大雨。 田川郡司某、国司小野宗成と計り奏上す。 |
846 | 同 13 | 阿部朝臣安立出羽守に任ず。 |
850 | 嘉祥 3 | 10月、大地震、租調を免除される。 |
861 | 貞観 3 | 大地震あり、河川の模様一変、出羽国府ことごとく改変(文徳実録)。 |
864 | 同 6 | 本楯の城輪神社に従五位下を授けられる。 |
871 | 同 13 | 8月、初めて漏刻を置き時を知らせる。 |
878 | 元慶 2 | 出羽国の俘囚が叛乱。 |
906 | 延喜 6 | 羽黒山の鐘を鋳る。 |
927 | 延長 5 | 田川郡三座に遠賀(井岡)、由豆佐売(湯田川)、伊氏波(出羽三山)の三社、遊佐に駅馬12匹置く。 |
938 | 天慶 2 | 平将門が羽黒山に五重塔寄進。 |
951 | 天暦 5 | 田川郡南山の龍花寺に高僧妙達あり、この寺後に善宝寺と改む。 |
1051 | 永承 6 | 前九年の役。陸奥の俘囚安倍頼時が叛し、陸奥守藤原登任、秋田城介平繁成をして討たしめたが勝てず、源頼義を陸奥守に任じて追討させる。 |
1058 | 康平 元 | 源斎頼を出羽守に任じ頼義に協力させる。 |
1063 | 同 6 | 安倍貞任一族の正任出羽光頼の子、大鳥山太郎頼任の許に隠れていたが、皆降伏して出る。 |
1083 | 永保 3 | 後三年の役。源義家が陸奥守兼鎮守府将軍になり、清原一族の争乱に介入する。 |
1182 | 承安 2 | 田河二郎覚房、平泉の藤原秀衡の奉行で羽黒山本社修造。 |